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日本の城に登る・歩く
     ( 九 州 の 城 )
  
  
    
[画像]  日本100名城  九州の城 佐賀城に登城する(No.89)
  
佐賀城 天守台を望む  
  
  



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 1.佐賀藩、鍋島36万石の居城 ”佐賀城 (89)” に登城する
 
 佐賀城
 (さがじょう)
 日本百名城 No.89
 佐賀県 佐賀市
 (撮影 2016.5.1)
 佐賀城(さがじょう)は、佐賀県佐賀市にある城です。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城ともいわれ、江戸時代初頭に完成しました。外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城でした。

 佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城であります。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれています。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられ、城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれていました。
                (ウィキペディアより)   
(Size : 4,856KB)   佐賀城、天守台、本丸歴史館を望む 佐賀城、鯱の門を望む


 
 2.佐賀城 本丸御殿(歴史館) ”西門”より登城する
 
【佐賀城について】
 佐賀城は、佐賀藩祖 鍋島直茂が江戸初期に建てた近代城郭desu
。鍋島家が元々仕えていた戦国期北九州の覇者 龍造寺氏が島津氏らとの戦いに敗れ衰退すると、秀吉・家康に近づき実権を内外ともに掌握しました。そして龍造寺氏の本城だった佐賀龍造寺城(村中城)を大幅改修し、四層五階の天守と御殿、巨大水堀を持つ近代城郭 佐賀城を造り上げました。
 しかし佐賀城は度重なる火災や幕末戦乱等で本丸御殿のごく一部と鯱ノ門を除く殆どの建造物が焼失してしまいました。平成になって幕末に再建された本丸御殿の復元工事が行われ、佐賀城本丸歴史観として大規模に復元されています。    
(城めぐりチャンネルHPより)

 
■ 佐賀城、本丸歴史館 ”西門”を望む ■
佐賀城、西門から続く石垣を望む
佐賀城 本丸歴史館より、西門を望む
 



 3.佐賀城 城内を散策する
 
■ 佐賀城、城内を望む。正面奥が天守台、右側が本丸歴史館です ■
西門側から見た佐賀城の石垣です。正面は天守台になります
鯱の門側からみた佐賀城の石垣です。左側は天守台への登り口になっています


城内の土塁より、幅50mの水濠を望む





「石垣を潜る水路」とのことです。◆カーソルセットで案内板が拡大します



佐賀城、城内を望む。左は本丸歴史館です



 4.佐賀城 ”鯱の門(国の重要文化財)”にて
 


佐賀城、鯱の門を望む (◆カーソルセットで佐賀城の地図、「佐嘉小城内絵図」が表示されます)



■ 佐賀城、鯱の門より、城外を望む ■
■ 国の重要文化財、”鯱の門と続櫓”を望む ■


鯱の門内部にて (続櫓の石垣です)



門には、明治維新で佐賀藩士が戦った佐賀の乱時に攻撃を受けた跡の弾痕があります
鯱は瓦ではなく、銅版を貼り付けて細かく加工しているとのことです
”鯱の門”の鯱です(城内に向かって左側の鯱です) ”鯱の門”の鯱です(城内に向かって右側の鯱です)
鯱の門近くにあります、”史跡佐賀城址城門”です 佐賀城、鯱の門を望む

「鯱の門について」   − 現地案内板より−

 鯱の門は、佐賀城で現存する唯一の遺構です。1836年に再建された時に建造されました。本丸の表門になります。
屋根にのる青銅製の鯱にちなんでこの名前がつけられています。


佐賀城、続櫓の石垣です。巨大な石も利用されていました
 



 
 5.佐賀城 ”天守台” にて
■ 佐賀城、”天守台”への入口です ■
佐賀城、”付櫓(つけやぐら)」台”より天守台を望む
  
佐賀城、天守台を望む
”天守台”より、鯱の門を望む
天守台からの風景です。◆カーソルセットで拡大します  
天守台の隅にある古い石碑です。
「佐賀城天守台址」と書いてあります
天守台にあります天守台の説明碑です 天守台より、本丸方面を望む  天守台より、本丸反対側NHKを望む

「佐賀城の天守について」   (ウィキペディアより)

 佐賀城の天守台は高さ約9m、南北31m×東西27mとかなり巨大な天守台となっています。また天守の規模は5層とのこと、大きさは小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されています。1726年(享保11年)に焼失してしまいました。



 6.佐賀城 ”本丸御殿(本丸歴史館)” にて
 
■ 佐賀城、本丸御殿(歴史館)より、本丸土塁を望む ■
本丸御殿(歴史館)を望む
     
内部の様子です
本丸御殿(歴史館)より、天守台を望む
  






本丸御殿(歴史館)あれこれです         


「復元本丸御殿(歴史館)について」   

 佐賀城本丸歴史館は、本丸御殿の一部を復元したものです。巨大な木造建築物で、佐賀城の展示室としての利用や、各種イベントに利用されています。



  7.”佐賀城” 案内
 
【 現在の佐賀城について 】
 現在の佐賀城跡は佐賀城公園として整備され、本丸周辺は東濠や土塁が復元され往時の姿を取り戻しつつあります。
 また、城址跡には佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県の政治経済の中心地となっています。     
(ウィキペディアより)


 
幅50mの水濠を望む。濠の外からは本丸御殿(歴史館)の屋根がかろうじて見えます
巨大な水濠を望む
   
  
  
城は市民の憩い場、健康の場になっています。写真をよく見ると濠の長さ(写真の赤線)は1kmほどとなっています
  
  
佐賀城、本丸御殿(歴史館)の入口です 本丸歴史館では寸劇が行われていました 寸劇の様子です 展示室で見つけた本丸御殿の写真です
  
  
  
 
 
( 後   記 )
 佐賀城の見どころは少なく地味な城との思い、先入観がありました。満面の水を貯えた巨大な濠、佐賀城公園遊歩コースの案内板で見ると、濠の長さは直線で1kmほどあり、これが内堀であることを思えば城の巨大さがわかります。
 また本丸から天守台には直接登れない(行けない)構造となっていました。本丸から一旦門の外へ出ないと天守台には行けない、このあたりも何故?非常に興味を持ちました。現地で歩いて見ましたが、どうしてこういう造りになったのか、自分では良く理解できませんでした。

 本丸歴史館は、本丸御殿の一部を復元とのことですが、大きな建物でした。当時の敷地のパネルでの案内はありましたが、付属の建造物を含めた全体のイメージ図があればもっと良く理解できたかもしれません。


 5月の連休、歴史館では「佐賀の八賢人」の時代寸劇が行われいました。佐賀藩を知る上でも非常に楽しく勉強になりました。なんとなくホッとする城めぐりとなりました。   
(2016/12/13)
 
 

佐賀城、本丸御殿を望む (本丸歴史館の写真からの複写です)
 
国の重要文化財指定、佐賀城”鯱の門・続櫓”を望む
 


続櫓、石積のアップです。見事です




佐賀城、濠にて
 

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