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【日本百名城 岡城】 |
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【 岡城と荒城の月 −竹田市教育委員会文化財課HPより− 】
岡城の現在残されている城郭は、明治に至るまで岡藩を統治した中川公によって築城されたもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪(くるわ)からなっている。
趣味人であった第5代藩主 中川久通は、城の北側にある絶壁に弦長約3m三日月を彫らせ、月のない夜も明かりを灯し、月見の宴を楽しんだ。
明治2年(1869)版籍奉還後の4年(1871)には、14代277年間続いた中川氏が廃藩置県によって東京に移住し、城の建物は7年(1874)大分県による入札・払い下げで(明治7年「大分県布告書」で県内五城の建造物、岡城は69棟が入札に付されている。)すべてが取り壊された。
瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1900)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。
現存する城跡は、文禄3年(1594)に播州三木から入部した中川氏により拡張されたものであり、明治4年の廃城により城館は取り壊され、「荒城の月」のイメージどおり、残された石垣が当時の姿をしのばせ、春の桜、秋の紅葉と四季折々の姿で訪れる人たちを楽しませている。
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■ 駐車場より、岡城、近戸門跡方面を望む ■ |
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岡城、近戸門跡方面のズームアップです |
”岡藩城下町 400年祭”ののぼりが飾られていました |
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岡城、本丸跡にありました案内板から複製した写真です。■カーソルセットで岡城址の案内図が表示されます |
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駐車超から登城口へ進む、大手門は崖の上です |
駐車場にあります ”史跡岡城阯”です |
入城券の”登城手形”です |
三の丸から二の丸へ進む |
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Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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岡城については、「荒城の月」のイメージがあり、相当荒廃した城と思っておりました。売店で入城券を購入すると、入場券の「登城手形」が渡されました。なかなかオシャレであり、観光客への気配りが感じられました。また大手門の上部からの眺望はこの城がいかに自然をうまく利用し要害化しているのがわかります。眼下には白滝川が流れ、急峻な山とガケに囲まれていました。
岡城からは、くじゅう連山、阿蘇山、祖母山と九州の山々が見渡せるとのことでしたが、あいにくの曇り空のため、祖母山は見渡せましたが他の山は残念ながら見ることはできませんでした。
また三の丸の吸いこまれそうな急峻な石垣は、どうやって造ったんだろうと考えてしまうぐらい素晴らしい石垣だと思いました。安全柵など無く、自然のままの状態になっていることも、すごく好感がもてました。
岡城では、自然と石垣の美しさを堪能することができました。次回機会が有ったら紅葉の時期、ここで九州の山々を眺めてみたいと思いました。 (2014/5/23)
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岡城、”三の丸の石垣”を望む |
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