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日向 5万1千石 ”飫肥城下” 案内 |
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【日本百名城 飫肥城の歴史】 |
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飫肥城は、宇佐八幡宮の神官の出で、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられています。
室町時代後期・戦国時代になると、島津氏が所領する飫肥城をめぐって伊東氏と島津氏が攻防を繰り返し、永禄11年に都於郡城主伊東義祐が攻め取りました。
天正5年(1577年)、島津氏の勢力が強まり、ついに伊東義祐は日向を去り、飫肥城は再び島津氏の所領となります。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東祐兵が秀吉より飫肥5万1千石を与えられ日向に戻ることとなり、以後280年余、明治までこの飫肥藩を伊東氏14代で治めました。 (ウィキペディア、他より)
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■ 飫肥城下町、本町商人通りの風景 ■ |
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飫肥城下の風景、正面突き当りが大手門になります |
飫肥城下町(本町商人通り)の風景、飫肥城入口 |
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城下で見つけた案内板です |
有形文化財、
旧伊藤伝左衛門家面を望む |
飫肥城下町、本町商人通りにて |
飫肥城下の風景 |
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Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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飫肥城は、雨の中の登城となりました。飫肥藩を280年余り治めた城です。飫肥城の城下は、飫肥藩がそのままの姿で現在に続いているような気がしました。近代的な建造物も目立つことなく、車の通行も少なくしっとりとした城下町でした。
城内に植えられております飫肥杉のたくましさ、立派さには驚かされました、”しあわせ杉”は、”四合せ = 士合せ = 幸せ”の観光用としても、旧本丸跡には、たくましく根の張った杉が整然と整列され真直ぐに伸びておりました。独特の趣きのある表皮と相まって生命の息吹を感じさせられました。 (2013/6/21)
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伊東家紋、庵木瓜の紋(いおりもっこうのもん)です。歴史資料館の横でみつけました。 |
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