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  日本の城に登る・歩く
 
    ( 日 本 百 名 城 )
  
  
    
[画像]  宮崎県日南市 ”飫肥城(96)” を訪れる
  
  
  
  
  
  
 伊東家14代280年間の居城 ”飫肥城” に登城する
 
 飫肥城 (おびじょう)
 日本百名城 No.96
 宮崎県日南市
 (撮影 2012.04.30)
 肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市)にある城です。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として栄えた。飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城であります。
 飫肥城は、明治6年(1873)に飫肥城内の建物全てが取り壊されました。
 取り壊された大手門は昭和53年(1978)6月に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元されています。   
(ウィキペディアより)
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飫肥城大手門を望む 飫肥城の”しあわせ杉(4本杉)”を望む
 
 
 飫肥城 ”大手門” より登城する
 

 【飫肥城、大手門の復元】

 飫肥城の大手門は、明治時代初めに取り壊されましたが、昭和53年(1978年)6月に樹齢100年の飫肥杉を使用し、復元されました。木造渡櫓二階建て、本瓦葺の重厚な造りの江戸時代の櫓門です。 高さ2.3メートル 樹齢百年の飫肥杉四本を使用しています。  
(ウィキペディアより)

 
■ 飫肥城、大手門を望む ■
 
 
飫肥城、大手門前の空堀を望む
  
 飫肥城、大手櫓門を望む 飫肥城、大手門より城内を望む
 
 飫肥城 ”大手門” を望む
 
■ 飫肥城、大手門(城内側)より望む ■
  
  
飫肥城、旧本丸跡へ進む 城内に整然と植えられている、飫肥杉です
  
 
 飫肥城 ”しあわせ杉” を望む
   
■ 飫肥城、”しあわせ杉(四合せ)”を望む (4つの角にある4本の杉、対角線の中心に立つと幸せパワーがもらえます(現地案内板より)) ■
  
城主の居館「松尾の丸(復元)」を望む
  
  
飫肥城、旧本丸方面を望む、
左上に「松尾の丸」があります
飫肥城、犬馬場を望む 飫肥城の石垣です 旧本丸跡より、石段を望む
  
  
 
 飫肥城 ”旧本丸跡” を望む
 
【飫肥城の本丸】

 飫肥城、旧本丸跡には、石垣と飫肥杉だけが残っています。本丸は、築城以来3度にわたる地震で崩落しました。第5代藩主伊東祐実(すけざね)の1693年(元禄6)に、現在の飫肥小学校の用地内に移されました。本丸跡は、東に隣接する飫肥小学校が大部分を占めています。   
(現地案内板より)

 
■ 旧本丸跡、樹齢140年の飫肥杉林を望む■
 飫肥城の石垣は、貞享元年、5代伊東祐実のときに大地震で飫肥城は損壊しました。城の復興時に現在残る石垣も築かれ、近世城郭へと改修されています。
 
旧本丸北門(城外側)を望む。本丸への裏門にあたります。(復元された、入母屋造り、本瓦葺の薬医門です)
  
飫肥城、旧本丸跡飫肥杉林を望む 飫肥城、旧本丸跡、本丸北門を望む
 
 飫肥城、石垣・石段を望む
  
■ 飫肥城、犬馬場から歴史資料館へ至る石段を望む ■
   
飫肥城、築地塀から覗いてみました
   
飫肥城、築地塀を支える控柱です 飫肥城、旧本丸後に続く石段を登る


 日向 5万1千石 ”飫肥城下” 案内
  
【日本百名城 飫肥城の歴史】

 飫肥城は、宇佐八幡宮の神官の出で、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられています。

 室町時代後期・戦国時代になると、島津氏が所領する飫肥城をめぐって伊東氏と島津氏が攻防を繰り返し、永禄11年に都於郡城主伊東義祐が攻め取りました。
 天正5年(1577年)、島津氏の勢力が強まり、ついに伊東義祐は日向を去り、飫肥城は再び島津氏の所領となります。

 天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東祐兵が秀吉より飫肥5万1千石を与えられ日向に戻ることとなり、以後280年余、明治までこの飫肥藩を伊東氏14代で治めました。  
(ウィキペディア、他より)

  
■ 飫肥城下町、本町商人通りの風景 ■
  
   
飫肥城下の風景、正面突き当りが大手門になります 飫肥城下町(本町商人通り)の風景、飫肥城入口
 
 城下で見つけた案内板です 有形文化財、
旧伊藤伝左衛門家面を望む
 飫肥城下町、本町商人通りにて 飫肥城下の風景
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
  
           
後   記   
 飫肥城は、雨の中の登城となりました。飫肥藩を280年余り治めた城です。飫肥城の城下は、飫肥藩がそのままの姿で現在に続いているような気がしました。近代的な建造物も目立つことなく、車の通行も少なくしっとりとした城下町でした。

 城内に植えられております飫肥杉のたくましさ、立派さには驚かされました、”しあわせ杉”は、”四合せ = 士合せ = 幸せ”の観光用としても、旧本丸跡には、たくましく根の張った杉が整然と整列され真直ぐに伸びておりました。独特の趣きのある表皮と相まって生命の息吹を感じさせられました。 
(2013/6/21)

 
伊東家紋、庵木瓜の紋(いおりもっこうのもん)です。歴史資料館の横でみつけました。
 
  
  
  
  
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