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第1集  世界文化遺産 平泉 ” 無量光院跡” を訪れる 
  


平泉 無量光院跡を望む
  
  
  
 
 




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世界文化遺産登録  ”平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群” 

( 世界文化遺産  2011年  月登録 )

 2011年に世界遺産に登録された平泉の世界文化遺産は、正式には『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』と言います。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産で、東北地方では初の世界文化遺産となりました。

平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園及ぶ遺跡が、一群としてよく残っていて、その寺院や庭園は、この世に理想世界を創りだそうとしたもので、海外から影響を受けつつ日本で独自の発展えを遂げたものです。
平泉の世界文化遺産は、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5つの資産で構成されています。

  〇構成資産
 1.中尊寺
   中尊寺は17院によって構成される天台宗の一山寺院で、850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、1105年に造営に着手しました。多宝寺が建てられた後、大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。大長寿院は、高さ15mという大きな建物でしたが、その中には、高さ約9mの金色阿弥陀如来像が安置されていました。平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたと言われています。このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、1124年には金色堂を完成させました。

 2.毛越寺
   毛越寺は上記の中尊寺と同じく、850年、慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時に完成しました。当時は40以上のお堂や塔があり、お坊さんが生活する建物は500以上もあったそうで、「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と言われるほど立派なものでした。しかし、相次いだ火災で、当時の建物は残っていません。現存する常行堂も、江戸中期のものですが、遺跡が良好に保存されていることから、特別史跡に指定されています。

 3.観自在王院跡
   毛越寺東隣の観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。敷地の北側には、大小2棟の阿弥陀堂が建っていました。その内壁には、石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、宇治平等院などの首都京都の霊地名所が描かれていたそうです。ここでは、毎年5/4に、『なき祭り』という珍しい祭りが行なわれます。

●4.無量光院跡
   藤原氏三代秀衡が建立した無量光院は、宇治平等院の鳳凰堂を模して、ひと回り大きく造られました。しかし現在は、建物は焼失し、礎石が残っているだけです。池跡は一段低くなっており、往時の状況を現代に伝えます。
お寺の正面に立つと、橋・中島・橋・本堂が一直線に並び、その先には金鶏山が望めます。

 5.金鶏山
   金鶏山は、比高差60mほどの円錐形の優美な山です。平泉を訪れた松尾芭蕉も、「金鶏山のみ形を残す」と、その印象を述べています。山頂からは平泉すべてを見渡せることから、平泉の中心として意識されていたようです。 金鶏山には、秀衡が一晩で造った人工の山、雌雄一対の黄金の鶏が埋められているなどの伝説があります。これらの伝説は、山頂に営まれていた経塚から派生したものでしょう。経塚は、初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、最低9基は造られたようです。



                 (世界遺産オンラインガイド HPより)  

 1.世界文化遺産 平泉 ”無量光院跡” を訪れる
 無量光院跡(むりょうこういんあと)

 世界文化遺産登録
 「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」
 として2011年世界文化遺産登録 
 岩手県西磐井郡 平泉町
 (撮影 2018.12.27、2019.4.28)
 (作成 2021.10.17)

 無量光院跡(むりょうこういんあと)は、岩手県平泉町にある史跡で、藤原秀衡(ひでひら)が京都の平等院を模して建立した寺院でした。当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院でしが、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみとなっています。

 奥州藤原氏の滅亡以降、無量光院は度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石、池跡が残るのみで、跡地には水田と松林が広がっています。1952年(昭和27年)に行われた発掘調査によって、本堂や庭園の規模や配置が明らかになり、『吾妻鏡』の記述が裏付けられました。1955年(昭和30年)に国の史跡に指定された。2012年(平成24年)より中島と池の復元・整備が進められています。

 寺院跡は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されています。2011年(平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されています。
 (ウィキペディアより)
(Size : 51,406KB) 無量光院跡を望む 無量光院跡にて
  





 2.世界文化遺産 平泉 ”無量光院跡” を訪れる  (2018年12月27日)




平泉、国無量光院跡案内板からの眺めです
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます



国無量光院跡案内板のアップです


「無量光院跡、砂利敷き広場」にて 「無量光院跡」を望む
< 無量光院について > 
 「無量光院(むりょうこういん)」は、3代・秀衡(ひでひら)によって造営されました。鎌倉時代前半を記した歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』には「宇治の平等院に模す」と記述されており、日本の10円硬貨にも描かれている京都の「平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)」をモデルに造られた荘厳な寺院でした。

 境内の中心には池があり、その中島に本堂である阿弥陀堂が建っていました。阿弥陀堂の柱間(はしらま)の距離や、左右に伸びる翼廊(よくろう)の長さは平等院鳳凰堂を超える大きさだったという。阿弥陀堂の真西には金鶏山があり、春分、秋分の夕刻には、建物の背後にそびえる金鶏山の山頂へと沈みゆく夕陽が眺められました。その光景を眺めながら、当時の人々は西にあるという極楽浄土を思い描いたのであろう。

 奥州藤原氏の滅亡後、無量光院は荒廃・消滅し、現在は池跡と中島、礎石(そせき)のみ残っています。現在、「無量光院跡(むりょうこういんあと)」として史跡の発掘調査と周辺の整備が行なわれています。
            
(日本情報多言語発信サイトnippon.com(ニッポンドットコム)より)




無量光院跡を望む。手前は「東島」です
無量光院跡にて 無量光院跡、駐車場を望む 無量光院跡を望む 無量光院跡は工事中でした



google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
◆クリックでGoogle Mapが表示されます



無量光院跡にて、「平泉TIME SCOPE(VF)」の案内がありました。(VFで下の写真が見えるとのことです)




googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
■ 画像クリックでgoogle Mapが表示します ■



無量光院跡にて、現地案内板です



無量光院跡にて、工事中の現地案内板です




無量光院跡にて、正面は本堂跡(中島)、手前右の小山は北小島です
 





 3.平泉 ”無量光院跡” にて  (撮影 2019年4月28日)



無量光院跡にて、新しく案内板が設置されていました



無量光院跡にて、満面の水を蓄えた池は鏡のように美しい状態でした
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無量光院跡にて



無量光院正面からの眺めです。中央右側に見える山が「金鶏山」です。 (◆カーソルセットで
『春分、秋分には、本堂中心と「金鶏山(きんけいさん)」の山頂に夕陽が沈んだところです』(復元CG)) (写真は平泉町教育委員会です)





本堂跡(中島)、東島へ続く歩道です
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 4.無量光院跡 ”東島” にて
  (”東島” を望む)



無量光院本堂対岸にて、正面の後方に「金鶏山(きんけいさん)」の山頂が望めます



本堂対岸より、「東島」を望む



本堂対岸より、「東島」のアップです



本堂対岸からの風景です



本堂(中島)より、「東島」を望む
 (”東島” にて)



「東島」への歩道です
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「東島」先端部からの眺めです



「東島」より、本堂跡方面を望む
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「東島」にて




「東島」にて




「東島」にて



「東島」にて



「東島」にて



「東島」にて
   





  5.無量光院跡 ”中島(本堂跡)” にて



本堂跡(中島)より、「東島」を望む



本堂跡(中島)を望む。左側の小山は北小島です






本堂跡(中島)を望む



本堂跡(中島)、楚石を望む



本堂跡を望む



本堂跡(中島)の楚石です



本堂跡(中島)にて



本堂跡(中島)にて
 、
  6.無量光院跡 ”中島(本堂跡)楚石” にて



無量光院跡、本堂跡の楚石を望む
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本堂跡の楚石を望む



本堂跡の楚石を望む



本堂跡の楚石を望む
 





  7.平泉 ”無量光院跡” にて



無量光院、本堂跡からの眺望です。直ぐ近くをJRが走っています



JR貨物列車が通っているところです。列車は「金太郎」です
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本堂跡(中島)からの眺めです JR東北本線が隣接しています JR東北本線が隣接しています 土塁の横をJR東北本線が走っています
       



無量光院跡、土塁にて



無量光院跡にて、JR線路側より中尊寺通り方面を望む
     【 後  記 】

 無量光院跡へは、2度ほど訪れました。最初は12月(2018年)の末、冬の時期でしたが雪はありませんでした。池(跡)は水不足で北小島周辺は干しあがっていたのは残念でした。また砂利敷き広場の駐車スペースや案内板の周りは整備中でしたが、非常に綺麗に整理されていました。遠くでは堀・土塁などの工事が盛んに行われていました。

 2回目は4月(2019年)下旬、当日は天候に恵まれたことと池(跡)には水量も多く、風も無く、鏡のような美しい水面を作っていました。写真的には、最高の日でした。美しい庭園風景と思いました。ただ遺跡として楚石だけとは、少し寂しい感じがしました。

 今から800年以上前に宇治平等院鳳凰堂を模して建立し、規模的にも劣らない物が有ったとは、なかなか想像できません。駐車スペースの所に、「平泉TIME SCOPE(VRでの観光)」案内がありました。この辺が手軽に出来れば、現在楚石しか見えませんが、VFでの別世界、建立当時の時代に戻れるのではないかと、楽しみです。   
(2021.10.12)


 (”北小島” を望む)



無量光院跡、北小島を望む



北小島を望む。左側は中尊寺通り、右側は本堂跡です。この辺りはまだ水量が少ない状態でした



北小島のアップです。水量が増えれば庭園の美しさはもっと引き立つと思いました
  8.平泉 ”無量光院跡” にて



無量光院跡にて、JR東北本線が隣接しています



無量光院跡にて



無量光院跡にて、本堂跡、東島を望む



本堂跡を望む



「東島」を望む



無量光院跡、正面より望む






  お気に入り写真 



無量光院跡、土塁を望む



無量光院跡、本堂跡楚石を望む
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本堂跡楚石を望む
v


無量光院跡、「東島」を望む



無量光院跡は、2018年2月27日現在、整備中(工事中)でした





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