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第1集 東京都江東区上野公園 寛永寺「上野大仏(パゴダ)」に参拝する
  

上野公園にて、寛永寺「上野大仏(パゴダ)」を望む
  



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          < 内 容 >

 1.寛永寺「上野大仏」にて(1)
 2.寛永寺「上野大仏」にて(2) 

 3.寛永寺「上野大仏」参拝風 景(受験生の聖地 合格大仏) 
 4.上野大仏 「パゴダ薬師堂(仏塔)」にて
 5.上野大仏 パゴダ薬師堂(仏塔) 「薬師如来像」にて
 6.寛永寺「上野大仏」の歴史
 7.上野公園 「時の鐘」にて
 8.寛永寺「上野大仏」の概要 







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  1.寛永寺 「上野大仏」にて(1)



1-1 上野公園にて、寛永寺「上野大仏(パゴダ)」にて



1-2 上野大仏、「パゴダ(仏塔)」を望む

< 寛永寺「上野大仏(パゴダ)」について >   ーー 寛永寺HPより ーー

 寛永八年(1631)に初建された上野の大仏様は度々罹災(りさい)しましたが、その都度復興されています。しかし関東大震災によりお首が落ち、第二次大戦時には軍の供出令(きょうしゅつれい)により胴体を徴用されて、お顔のみが残されました。大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています。

         ”大仏を 埋めて白し 花の雲”  子規




1-3 上野大仏、「パゴダ(仏塔)」を望む



1-4 寛永寺「上野大仏(パゴダ)」境内を望む
 





  No.2 
  2.寛永寺「上野大仏」にて(2)



2-1 寛永寺、「上野大仏」を望む



2-2 寛永寺、「上野大仏」を望む



2-3 寛永寺「上野大仏」にて、大佛パゴダの現地説明板です



2-4 寛永寺、「上野大仏」のアップです。寛永寺、「上野大仏」のアップです。
上野大仏は「これ以上落ちることはない」ということで『合格大仏』と呼ばれ、受験生の聖地となっています
  No.3
  3.寛永寺「上野大仏」参拝風景(受験生の聖地 合格大仏)



3-1 寛永寺「上野大仏」にて、修学旅行と思われる生徒さんが訪れています



3-2 寛永寺「上野大仏」にて、修学旅行と思われる生徒さんが訪れています



3-3 受験生の聖地、寛永寺「上野大仏」にて、合格祈願の絵馬です
   





  No.4
  4.上野大仏 「パゴダ薬師堂(仏塔)」にて



4-1 上野大仏「パゴダ(仏塔)」を望む。本尊薬師如来像がおさめられています



4-2 上野大仏「パゴダ(仏塔)」を望む
 、
 No.5
  5.上野大仏 パゴダ薬師堂(仏塔) 「薬師如来像」にて


5-1 上野大仏「パゴダ(仏塔)」にて、本尊薬師如来像です



5-2 パゴダ薬師堂(仏塔)の本尊薬師如来の現地説明板です



5-3 パゴダ薬師堂(仏塔)の「本尊薬師如来像」のアップです
 





 No.6
  6.寛永寺「上野大仏」の歴史



6-1 上野大仏の現地説明板です。明治期にあった大仏の写真があります



6-2 往年(明治期)の上野大仏の写真です。(ウィキペディアよりコピーしました)
     【 後  記 】

  上野大仏は建立後幾多の災難をへて今日の姿になっています。1631年(寛永8年)に粘土を漆喰で固めた釈迦如来坐像の建立から始まり、1647年(正保4年)地震により倒壊、1655年 - 1658年(明暦年間)に青銅製高さ約6.6mで再建、1841年(天保12年)大仏殿の出火で頭部の溶け落ち、1923年(大正12年)関東大震災により頭部が落下、1940年(昭和15年)軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され消滅。
 その後、1972年(昭和47年)寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置しました。
 このような背景から「これ以上落ちることはない」ということで合格大仏と呼ばれ、受験生の聖地となっています。
      
(2025.03.08)





6-3 かつて存在した「上野大仏殿」の写真です。(ウィキペディアよりコピーしました)



6-4 関東大震災で頭部が落下した上野大仏の写真です。
手前に大仏の頭部が見えます。(ウィキペディアよりコピーしました)
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 No.7 
  7.上野公園 「時の鐘」にて



7-1 上野公園にて、上野大仏の隣にあります「時の鐘」を望む



7-2 上野公園にて、「時の鐘」現地説明板です



7-3 上野公園にて、「時の鐘」を望む




 No.8
 8.寛永寺「上野大仏」の概要
 寛永寺
「上野大仏(パゴダ)」


 日本の寺社
 〒110-0007
東京都 台東区上野公園4−8
 (撮影 2019.09.13)
 (作成 2025.03.07)

 上野大仏(うえのだいぶつ)は、東京都台東区上野恩賜公園内で顔だけが現存し、公開されている大仏です。所在地は上野精養軒に隣接する大仏山という丘の上で、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設されています。

 元々は江戸時代初期に建立され、幕末までにも火災や地震に度々遭い、1923年(大正12年)の関東大震災で頭部が落下するまでは像高約6メートルの釈迦如来坐像でした。震災後、頭部と胴体は再建に備えて上野寛永寺に保管されていましたが、顔面部を除いて第二次世界大戦中の金属供出で持ち去られました。

       
(ウィキペディアより)

(Size : 60,436KB) 上野公園、上野大仏境内にて 寛永寺、上野大仏を望む

google地図より(■カーソルセットで地図写真表示)
クリックでGoogle Mapが表示されます

GoogleMapより、上野公園付近の写真です。
クリックでGoogle Mapが表示されます









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