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No.6 |
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6.寛永寺「上野大仏」の歴史 |
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6-1 上野大仏の現地説明板です。明治期にあった大仏の写真があります |
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6-2 往年(明治期)の上野大仏の写真です。(ウィキペディアよりコピーしました) |
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【 後 記 】 |
上野大仏は建立後幾多の災難をへて今日の姿になっています。1631年(寛永8年)に粘土を漆喰で固めた釈迦如来坐像の建立から始まり、1647年(正保4年)地震により倒壊、1655年
- 1658年(明暦年間)に青銅製高さ約6.6mで再建、1841年(天保12年)大仏殿の出火で頭部の溶け落ち、1923年(大正12年)関東大震災により頭部が落下、1940年(昭和15年)軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され消滅。
その後、1972年(昭和47年)寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置しました。
このような背景から「これ以上落ちることはない」ということで合格大仏と呼ばれ、受験生の聖地となっています。
(2025.03.08)
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6-3 かつて存在した「上野大仏殿」の写真です。(ウィキペディアよりコピーしました) |
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6-4 関東大震災で頭部が落下した上野大仏の写真です。
手前に大仏の頭部が見えます。(ウィキペディアよりコピーしました) |
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No.7 |
7.上野公園 「時の鐘」にて |
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7-1 上野公園にて、上野大仏の隣にあります「時の鐘」を望む |
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7-2 上野公園にて、「時の鐘」現地説明板です |
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7-3 上野公園にて、「時の鐘」を望む |
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