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 日本の城に登る
       (日本百名城 四国の城)
 (日本百名城 No.77) ”高松城” を歩く
     
  

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 日本三大水城の一つ ”高松城” へ登城する
 高松城 (たかまつじょう)
 日本百名城 No.77  
 香川県 高松市玉藻町
 (撮影 2011.05.05)
 高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にあった城です。別名・玉藻城(たまもじょう)といわれています。国の史跡に指定され、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされています。
 現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されています。 (ウィキペディアより)   
(Size: 1,247KB) 高松城北の丸月見櫓・水手御門を望む 高松城、”桜御門”跡 を望む
 高松城 ”旭橋、旭門” を望む
高松城の大手 ”旭橋、旭門” を望む
親しみのもてる、愛らしい看板です ”旭門”を城内より望む
     
 高松城 ”天守台” を望む (石垣解体修理中)

【高松城の歴史】

 「讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上」と歌われていた高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていましたが、その由来は万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれています。
 天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が数年の歳月を掛けてこの地に城を造りました。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本の三大水城の一つと呼ばれています。本丸を中心に時計回りの方向に二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が配され、三重の堀とともに堅固な構えとなっていました。  
(高松城公式HPより)

高松城天守台(石垣解体修理中)を望む。◆カーソルセットで明治時代に撮影された天守が表示されます。(現地案内板からの複写です)◆
旭門近くより、艮(うしとら)櫓を望む ”桜御門”跡 を望む
 高松城 重要文化財 ”披雲閣” を望む
2012年(平成24年)国の重要文化財に指定された、 ”披雲閣”を望む
内苑御庭より披雲閣を望む 内苑御庭に入る
 内苑御庭を望む(1) 内苑御庭を望む(2)  披雲閣と内苑御庭(1)  披雲閣と内苑御庭(2) 
 高松城 重要文化財 (北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓) を望む

 高松城は、寛永19年に徳川家康の孫で水戸の徳川頼房の子、松平頼重(水戸光圀の兄)が東讃12万石を領してこの高松城に入り、明治2年の版籍奉還までその子孫が11代228年間在城しました。将軍家と近親の関係にあった頼重は、中国、四国の監査役を命じられていたといわれていました。
 当時は、三重五層の天守閣がそびえ、要所には約20の櫓があって、その威容を誇っていましたが、現在では、艮櫓、月見櫓、渡櫓および水手御門が重要文化財の指定を受け残っています。園内の庭園には、緑したたる老松、名木が立ち並ぶなかに、石燈寵、手水鉢、大飛石等が配置され、昔の大名の権威がしのばれます。    (高松城公式HPより)

 左より、重要文化財 北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓を望む
 
 高松城 重要文化財指定 ”艮(うしとら)櫓” を望む
艮(うしとら)櫓を望む。(旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)
天守台へ続く、鞘橋を望む 修理中の天守台を望む 海水の入口、水門を望む 城内から見た、水手御門と渡櫓
 重要文化財指定 ”高松城” 案内
 
【 現在の高松城 】
  
 現在の高松城は、高松市立玉藻公園として有料で開放されています。天守は現存せず、重要文化財には月見櫓、艮櫓(うしとらやぐら)、水手御門(みずのてごもん)、渡櫓が指定されております。毎週日曜日には、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されています。また、城内にある桜の馬場は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れるいこいの場所となっています。     
(ウィキペディアより)

高松城西入口(JR高松駅側)を望む (■カーソルセットで城内の案内図が表示されます)
城内より月見櫓を望む   水城通り(左側)横の公園より、月見櫓を望む
中堀を望む。右は艮(うしとあ)櫓(旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)。 城内の堀端を歩く)  高松城、城内にて   高松城、大手”旭橋”を望む
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真の表示 ■カーソルセットで航空写真の表示
後  記

 
高松城は瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込み、「日本の三大水城の一つ」と呼ばれています。海に面した城のイメージは山国育ちの自分はなかなかわきませんでした。実際に城内を歩き回りましたが海が城の防御にどのくらい役立つのかは実感がわきませんでした。どうしても城は石垣に囲まれ、自然の山河の要害を利用したもののイメージが強い。海も川も同じ水と考えれば、納得ですが・・・・・。 

 最盛期の高松城は20万坪の広さを誇っていたとのことです。現座は2万4千坪と最盛期の十分の一ほどの規模になっているとのことです。当時の城の大きさがわかります。
 また、堀には今でも海水が引き込まれ、餌場には鯛がうようよ泳いでいました。釣り好きの自分としては、ここは入れ食いかなと思いつつ、堀の魚を眺めていました。なお、この鯛は養殖されているとのことです。

 次にくるときは、水城のこの城を海上から眺めて見たいと思います。
  (2012.07.27
 

月見櫓を望む
 
 


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