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日本の歴史を訪ね歩く
  (日本の歴史・日本のふるさとを歩く)
[画像]  10万石の城下町・新発田 ”清水園” を訪れる
     
  
 
 旧新発田藩 下屋敷庭園 ”清水園” を訪れる
 清水園(しみずえん)
 日本庭園
 (国の名勝に指定))
 新潟県新発田市
 (撮影 2011.08.09)
 清水園(しみずえん)は、新潟県新発田市にある日本庭園です。

 江戸時代に新発田藩により造られ、近江八景を取り入れた回遊式庭園です。中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されており、池の周囲には五つの茶室が点在します。また園内には「清水谷御殿」と呼ばれた簡素な数寄屋造りの書院があり、これは庭園より古くから存在しています。

2003年に国の名勝に指定されています。 
(ウィキペディアより)
 
(Size: 1,185KB) 
清水谷御殿(書院)前より庭園を望む 清水谷御殿(書院)と庭園を望む
 新発田 ”清水園” を訪れる
正面 足軽長屋、右 清水園を望む (清水園入口にて)
清水園入口を進む 大門(総門) (もとは新発田藩家老、さらには藩知政庁にあったと言われる茅葺きの豪奢な門です)
           
 新発田 ”清水園” を散策する
  
 【清水園の歴史】

 新発田藩三代藩主溝口宣直の時代、この地の高徳寺を五十公野へ移した跡地に藩の下屋敷の造営が始まった。付近が清水谷と呼ばれていたことから、「清水谷御殿」と呼ばれました。
四代藩主溝口重雄の時代、幕府庭方の茶人縣宗知を招いて庭園の造営が行われた。

 1891年、大地主の伊藤文吉に買収された後、1946年より北方文化博物館の分館となり、「清水園」と名づけられた。この時に全体的な修復が行われた。
 2003年、同じく縣宗知の指南下で造られた五十公野御茶屋庭園とともに、国の名勝に指定された。指定にあたって「越後を代表する大名庭園である」と評価されています。   
(ウィキペディアより)

 
書院前より、庭園を望む
庭園(書院方面)を望む 写真上:中門を望む
   下:庭師田中泰阿弥の歌碑
写真上:溝口家の家紋を望む
   下:庭園を歩く
◆写真下:カーソルセットで案内版が拡大します。
 清水園 ”書院(清水谷御殿)” を望む
書院より、庭園を望む
書院を望む  書院前より庭園を望む
書院入口にて
 ”清水園” から ”足軽長屋” を望む
清水園からの足軽長屋の風景 
 
  旧新発田藩 ”足軽長屋” を訪れる
■ 重要文化財 旧新発田藩足軽長屋を後方から望む ■
旧新発田藩足軽長屋の入口から眺めです 足軽長屋、居間の様子です

【足軽長屋とは】

 城下町は、藩の家臣が集住する侍町、町人の住む町人地、寺社の集まる寺町などから構成された。足軽は侍町の一番外側で長屋などに居住した。こうした長屋を現在では足軽長屋と呼んでいる。現在、足軽の居住区は侍町と区別して足軽町と呼ばれることが多い。 

 足軽は戦国時代に農民を徴用した臨時雇いの兵員を足軽という。一部は緊急の事態に備えて常に召抱えられるようになり、これが江戸時代に制度化し武士の最下層を形成した。薄給で生活は苦しかったが、居住などは支給された。足軽階級と士分との区別は厳しく、絹の着物の着用の禁止や、上級武士への土下座などが強いられた。    
(現地案内板より) 


見事なかやぶき屋根です 足軽長屋の平面図 炊事場です 正面入口
 
 越後十万石大名 溝口家の遺構 ”清水園”  案内
【 清水園の造営 】

 
清水園のある、このあたり一帯が清水谷(しみずだに)の地名であったため、清水谷御殿、清水谷御座敷、または清水谷とよばれていました。 新発田藩が、曹洞宗高徳寺を五十公野上新保(新発田市)に移し、跡地に下屋敷をつくるための整地をしたのは寛文元年(1661)。棟上げが行われたのは同年6年4月。記録による「清水谷御座敷普請」の完了は元禄6年(1693)11月2日。棟上げから完成まで、じつに27年もの歳月を費やし、造られました。  


宝光寺を望む(宝光寺は、新発田藩主溝口家の菩提寺で、曹洞宗に属する禅寺です。総門には「城東法窟じょうとうのほうくつ」という額が掲げられております。)
寺町通りを望む 町中にある案内版を望む
寺町通り、”寺町たまり駅”を望む 昔懐かしい、良さを残したお店です  新発田市 寺町通りにて   寺町通り、”相円寺”方面を望む
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真の表示 ■カーソルセットで航空写真の表示
後  記

 新潟県新発田市は、思い出深い地名です。学友の斎藤さんの出身地でよく酒を飲んでは二人で故郷の自慢話をしたものでした。 今回初めてこの城下町新発田の散策を行うことができました。

 新発田の街並みには、近代的な建物の間に”西櫓”、”大手櫓”とかっての城跡の案内板があり、新発田城の広さと城下の様子をうかがうことができました。
 清水園は、大名庭園と言うことでしたが、残念ながら庭園の見る目を持たない私は、庭園の良さをよく理解できませんでした。しかし書院の中では、静寂の中、書院に差し込むやわらかな日差しを受け、自分の心がスーと落ち着いて行くのがわかりました。そして書院から眺める庭園の緑がとても印象的でした。

 城下の散策で一番驚かされたのは溝口家の菩提寺宝光寺の山門でした。長い歴史の中、俺が溝口家を守ってきているんだばかりの存在感のある山門でした。    
(2012.04.03)
 

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