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【 清水園の造営 】 |
清水園のある、このあたり一帯が清水谷(しみずだに)の地名であったため、清水谷御殿、清水谷御座敷、または清水谷とよばれていました。 新発田藩が、曹洞宗高徳寺を五十公野上新保(新発田市)に移し、跡地に下屋敷をつくるための整地をしたのは寛文元年(1661)。棟上げが行われたのは同年6年4月。記録による「清水谷御座敷普請」の完了は元禄6年(1693)11月2日。棟上げから完成まで、じつに27年もの歳月を費やし、造られました。
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宝光寺を望む(宝光寺は、新発田藩主溝口家の菩提寺で、曹洞宗に属する禅寺です。総門には「城東法窟じょうとうのほうくつ」という額が掲げられております。) |
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寺町通りを望む |
町中にある案内版を望む |
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寺町通り、”寺町たまり駅”を望む |
昔懐かしい、良さを残したお店です |
新発田市 寺町通りにて |
寺町通り、”相円寺”方面を望む |
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Yahoo!地図より |
■カーソルセットで航空写真の表示 |
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後 記 |
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新潟県新発田市は、思い出深い地名です。学友の斎藤さんの出身地でよく酒を飲んでは二人で故郷の自慢話をしたものでした。 今回初めてこの城下町新発田の散策を行うことができました。
新発田の街並みには、近代的な建物の間に”西櫓”、”大手櫓”とかっての城跡の案内板があり、新発田城の広さと城下の様子をうかがうことができました。
清水園は、大名庭園と言うことでしたが、残念ながら庭園の見る目を持たない私は、庭園の良さをよく理解できませんでした。しかし書院の中では、静寂の中、書院に差し込むやわらかな日差しを受け、自分の心がスーと落ち着いて行くのがわかりました。そして書院から眺める庭園の緑がとても印象的でした。
城下の散策で一番驚かされたのは溝口家の菩提寺宝光寺の山門でした。長い歴史の中、俺が溝口家を守ってきているんだばかりの存在感のある山門でした。 (2012.04.03)
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