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クトゥブ・ミナール 案内 |
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【クッワト・アルイスラーム・モスクとヒンドゥ教寺院】 |
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インド人は、アイバクが ヤムナー河のほとりのこの町で どのような宗教政策をとるのかを知ることになる。ムスリム(イスラム教徒)は、ヒンドゥ寺院のことを「ブッダの家」とよんでいたが、これを貶(おとし)め、27におよぶヒンドゥ寺院やジャイナ寺院を破壊したのである。
あげくに、その暴挙を みずからたたえる碑文まで刻んでいる。
建築家たちは 破壊された、ヴィシュヌ神に献じられた寺院の上に中庭をつくり、列柱のある礼拝室を設計した。建設資材、とくに柱として使う石材は、破壊された寺院へ行けば
いくらでも手に入れることができた。
ヒンドゥ教徒と違って、ムスリムは いかなる偶像も彫刻したり、描いたりすることはできない。『コーラン』で禁じられているので、神はおろか人間や動物の像も
造ることができなかった。このため モスクを建てる際には、柱や梁は できるだけ生き物の像の彫られていないものが選ばれた。表面に それらが刻まれた石材は、向きを変えたり、目障りな彫刻を削り取ったりして使ったのである。
神谷武夫氏、「最初のモスクと クトゥブ・ミナール] より)
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■ クッワト・アルイスラーム・モスクには、いくつかの門がありました ■ |
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クトゥブ・ミナールの出入口です |
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クッワト・アルイスラーム・モスクにて(1) |
クッワト・アルイスラーム・モスクにて(2) |
”クッワト・アルイスラーム・モスク”にて |
駐車場付近にて |
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Google地図より |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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インドで初めてモスクが造られた場所とのことです。奴隷王朝の建国者アイバクは、臣下の日々の礼拝と、地元のインド人に対して「真の宗教」であるイスラームの優位を示すべく、大モスクを建設し、金曜モスクと呼んでいましたが、次第に「イスラームの力」を意味する「クッワト・アルイスラーム・モスク」と呼ばれるようになったとのことです。
建築資材にはヒンドゥー教とジャイナ教の寺院を破壊した石材で造られたとのことです。モスクとしてドームは見ることができます。この地のモスクは他のモスクと相当変わっていることは、余り知識の無い自分でも理解できました。廻廊の柱は写真のとおりです。何事も進化していく中では、こだわりの中でも実現していくためには色々と有ることを教えてくれる場所なのかも知れない。 (2015/2/8)
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クトゥブ・ミナールでは、沢山のリスちゃんが走りまわっていました (◆カーソルセットでモスクの平面図が表示されます) |
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