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日本の城に登る・歩く
  ( 日 本 百 名 城 )
[画像]  (日本百名城 No.60)   ”赤穂城” を歩く
  
 播州”赤穂城” を歩く
 赤穂城 (あこうじょう)
 日本百名城 No.60
 兵庫県赤穂市
 (撮影 2009.09.20)
 赤穂城(あこうじょう)は兵庫県赤穂市にある「忠臣蔵」で有名な城で、国の史跡および名勝に指定されています。別名・加里屋城、大鷹城。明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていました。昭和・平成と櫓・門・塀・庭園が再建された。現在もなお二の丸庭園を再建中です。 (ウィキペディアより)   
(Size: 1,240KB)   赤穂城の大手隅櫓を望む 赤穂城天守台より本丸跡を望む
 赤穂城 ”大手門” を望む
 赤穂城は、浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれました。赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。藩の家老で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。
 赤穂城は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。   
(赤穂観光協会HPより)
大手門と大手隅櫓を望む (■カーソルセットで赤穂城跡案内図が表示されます)
赤穂城 ”大手門”を望む 赤穂城 ”大手隅櫓”を望む
 赤穂城 ”本丸”にて
【赤穂城】

 赤穂城は、5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥ったとのことです。5層天守の造営も計画されましたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っています。

 市内を流れる千種川より上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されていた。日本三大上水道の一つに数えられています。   
(ウィキペディアより)
赤穂城、本丸庭園より本丸表門を望む (■カーソルセットで取り壊し以前の本丸門(明治10年代撮影)が表示されます)
赤穂城 ”本丸門”を望む 赤穂城 ”天守台”を望む
 復元される ”赤穂城”
 赤穂城 厩口門を望む 
厩口門より、入城する 厩口門と本丸の石垣
 赤穂城 大手門から本丸門へ進む
■ 二の丸外堀を望む ■
 
大石頼母助屋敷跡を望む 大石邸長屋門を望む
 赤穂城 ”塩屋門”を望む
 赤穂城の城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。  昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。     (赤穂観光協会HPより)
■ 塩屋門(明治10年代頃)    <カーソルセットで現在の様子が表示されます> ■
  
歴史博物館方面を望む 東北隅櫓台と本丸の石垣を望む (右側が本丸門になります)
【明治10年代頃に写された塩屋門】
 塩屋門は赤穂城の搦手(からめて)の門として高麗門1門からなる。その規模は間口約4m、建築面積約16.5uであったという。門を入ると内部は内枡形(うちますがた)をなし、門正面には高さ4.5mの枡形石垣、左手は雁木(がんぎ)となり、城内へは右手方向へ進路をとる。枡形内には番所と太鼓櫓があり、この櫓から塩屋門の周辺に屋敷を構える藩士への合図を発した。

 塩屋門の写真は、写真左に高麗門の門構えが、左端には太鼓櫓が見える。右奥の建物は二重の隅櫓で、一層目に唐破風付きの出窓を備えている。その規模は基底部で東西6.9m・南北約8.8mと伝えられる。   
(現地案内板Pより)
 播州”赤穂城” 案内
 赤穂城は、明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていた。昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められている。また、1928年(昭和3年)から1981年(昭和56年)の間には、本丸内に西洋洋館風の赤穂高校(旧制赤穂中学)の校舎が建っていました。現在、本丸に建物はないが、往時の建物の間取りを原寸で地面に再現してあり、その規模や暮らしぶりの一端を窺うことができる。    (ウィキペディアより)
JR播州赤穂駅を望む (銅像には”義魂”と書かれています)
       ■赤穂の街中にある ”息継ぎ井戸”です

元禄14年(1701年)江戸城松の廊下の刃傷事件を二人の使者が4日半かかって赤穂城下に到着し、この井戸で水を飲み一息継いで赤穂城へ向かったと伝えられています。(現地案内板より)
 ■花岳寺を望む(山門と奥の建物は本堂)
  
赤穂駅前お城通りの風景です 大手門銃内からの風景 赤穂城本丸門を望む 大手門付近から赤穂駅方面の街並みの風景です 花岳寺本堂を望む 花岳寺本堂の天井に描かれている虎
Yahoo!地図より ■カーソルセットで航空写真を表示します。 ■カーソルセットで航空写真を表示します。
後 記
 播州赤穂城といえば四十七士の打ち入りを思い出します。浅野家筆頭家老の大石内蔵助を首領とする四十七人の家来たちの物語は、日本人の心に焼き付いています。その舞台の一つ赤穂城に行ってまいりました。

 JR播州赤穂駅を降りると、お城までは真直ぐな整備された道が続いています。海が近いせいか”こんな真っ平なところにお城があるの”という感じの場所でした。
 現在、明治時代に破却された城を復元中とのことです。広大な城内には多くの空き地がみられました。今後どこまでどう復元されていくのかは、大いに楽しみな城です。
また、明治時代に撮影された城の写真がポイント、ポイントにあり当時の様子を連想することが出来ます。当時と現在との対比ができ、良い案内版だと思いました。
  (2011.06.14)


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