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Ver.4.1 |
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日本の城に登る・歩く |
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( 日 本 百 名 城 ) |
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![[画像]](../../../M_999_Buhin/910_Midashi/Na_210Dai06SyuB0-90A.gif) |
[日本百名城 No.53] 京都 元離宮 ”二条城” を歩く |
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(二条城 東南隅櫓を望む) |
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京都 ”二条城” を訪れる |
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二条城 (にじょうじょう) |
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日本百名城53
世界文化遺産
古都京都の文化財(1994年登録) |
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京都府 京都市 |
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(撮影 2011.11.19) |
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二条城(にじょうじょう)とは京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城です。
徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもありました。
二条城は城全体が国の史跡に指定されています。二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財、そして二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されています。 (ウィキペディアより) |
(Size : 1,049KB) |
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二条城、東南隅櫓を望む |
二条城、天守閣跡を望む |
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二条城 ”東大手門” を望む |
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二条城は、慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成したものです。
豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができます。
徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城です。 (元離宮二条城HPより)
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重要文化財、二条城東大手門を望む |
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東大手門を入って右側にある番所です |
東大手門を望む |
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二条城 ”二の丸(御殿・庭園)” を望む |
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【国宝 二の丸御殿】
二の丸御殿は、桃山時代の武家風書院造りの代表的な建造物です。車寄せに続いて遠侍(とおさむらい)、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん)の6棟が東西から南北にかけて雁行に立ち並んでいます。
建物面積3,300平方メートル、部屋数33、畳は800畳あまり敷かれています。 (元離宮二条城HPより)
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国宝 二の丸御殿を望む、右側は車寄です |
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二の丸庭園を望む |
二の丸御殿、大広間を望むす |
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二の丸庭園と二の丸御殿(大広間)を望む |
二の丸庭園は、書院造庭園で神泉蓬莱の世界を表した庭園と言われています。 |
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二条城内堀 ”本丸櫓門” を望む |
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■ 清流園側より、東橋・本丸櫓門を望む ■ |
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東橋、本丸櫓門を望む |
本丸櫓門よおり、本丸方面を望む |
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二条城 ”本丸・天主閣跡” を望む |
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【二条城の本丸】
二条城の本丸は、内堀に囲まれ16,800平方メートル(約5,200坪)の広さで、1626年(寛永3年)三代将軍家光の命により増築されたものです。
創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。
また、本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788年)には市中の大火のため殿舎をも焼失してしまいました。
現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。
この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、重要文化財に指定されています。
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■ 天守閣跡より、本丸庭園、御殿を望む ■ |
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天守閣跡台より、東橋を望む |
二条城 ”天守閣跡” に登る |
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二条城 ”内堀(西橋)” を望む |
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■ 内堀(西橋と天守閣跡:奥の高い石垣の所)を望む ■ |
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西橋より、北中仕切門方面を望む |
西橋・本丸方面を望む |
内堀を望む、右奥は西橋です。 |
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京都 元離宮”二条城” 案内 |
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【二条城の歴史】
二条城は慶長8年(1603年)に徳川家康が京都御所の守護と上洛の際の宿所として造営させました。家康はここで征夷大将軍の拝賀の礼を行い、また豊臣秀頼を迎えて威信を示しました。寛永3年(1626年)後水尾天皇行幸に際し、ほぼ現在の規模になりました。
天明8年(1788年)、市中の大火で本丸殿舎などを焼失し、二の丸御殿などだけが残りました。そして慶応3年(1867年)、徳川慶喜はここで大政奉還を宣言し江戸幕府は終焉しました。
その後、明治時代に宮内庁の管轄となり二条離宮と称され、昭和14年(1939年)に京都市に下賜され今日に至っています。 (ウィキペディアより)
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■ 清流園、香雲亭を望む ■ |
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北大手門を望む |
西橋より、天守閣跡を望む |
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南中仕切門を望む |
清流園にて |
北中仕切門を望む |
東南隅櫓を望む |
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Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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二条城は土砂降りの中の拝観となりました。気がつくとカメラのフィルターとレンズの間に雨水が溜まっておりました。二条城は思いのほか、広くみどころが沢山ありました。二の丸御殿は幕末の大政奉還など、何か歴史に直接触れる感じがしました。また二の丸庭園は雨のせいか、紅葉も今一つの感じでしたが、武家風書院造りの美しさを彩立たせ、純日本風の美しさを堪能することができました。
今回は雨に迎えられてしまいましたが、次回は快晴のなか訪れたいと思います。また、本丸御殿の拝観のチャンスを待ちたいと思います。 (2011.12.18)
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