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【新発田城 明治以降の変遷 (現地パンフレット)より】 |
新発田城は明治5年までは本丸・二の丸・三の丸合わせて、櫓が11棟、主な門が5棟あったが、表門と旧二の丸隅櫓(昭和32年、国重要文化財に指定)のみ残し、新政府の命令で取り壊され、堀や土居も壊して埋め立てられた。本丸・二の丸の大部分は、廃藩置県後陸軍省の管轄となり、敗戦まで歩兵第16連隊の兵営地として使用されてきた。戦後の一時期米軍が進駐していたが、昭和21年新潟青年師範学校が移転してきて、旧兵舎を校舎として使用、その後24年に新潟大学新発田分校が開校。当時は引揚者の寮や本丸中学校、各種民間事業所なども兵営跡に同居していた。昭和28年4月からは陸上自衛隊駐屯地となり、現在に至っている。
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表門2階から、本丸入口を望む |
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のぼりと辰巳櫓を望む |
復元(2004年6月)された辰巳櫓を望む |
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辰巳櫓正面入口を望む |
藩祖・溝口伯耆守秀勝公の像(本丸) |
表門に控えているボランティアの方です |
辰巳櫓から本丸御殿方面を望む。現在は陸上自衛隊新発田駐屯地になっています |
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Yahoo!地図より |
■カーソルセットで航空写真の表示 |
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後 記 |
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城下町新発田を初めて訪れました。学生時代の友人斎藤君の出身地、自分も帰省の夜行列車で良くとおりましたが、立ち寄ることは有りませんでした。
新発田公園から復元された三階櫓を眺めながら堀沿いに旧二の丸隅櫓、表門と歩いて行きました。城としての威厳を備えた素晴しいながめを味わいながら歩くことができました。残念ながら表門をくぐり、本丸に入るとすぐにその先は陸上自衛隊新発田駐屯地になっています。本丸の散策はここで打ち切りとなりました。こういうことも長い歴史の中の一コマなのかも知れないと思いました。 (2012.03.25)
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