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日本三名園 岡山後楽園 案内 |
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【後楽園の命名について】 |
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後楽園は、1687年(貞享4年)12月に着工し(鍬始め)、翌1688年(元禄元年)には本格的な土木工事にとりかかりました。庭園は工事が始まった当初は「御菜園」、「御菜園塚」などと呼ばれていましたが、1695年(元禄8年)頃には城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれるようになりました。
1869年(明治2年)の版籍奉還によって御後園は岡山城とともに一時的に明治新政府の手に渡り、翌1870年(明治3年)11月に御後園は再び岡山藩の所有となりました。
1871年(明治4年)2月7日に藩知事に就任していた池田章政が日を限って一般に開放しました。この時、「御後園」の名称を中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)からとって「後楽園」と改めました。
(ウィキペディアより)
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■ 沢ノ池より、唯心山(ゆいしんざん)・岡山城を望む ■ |
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沢の池前にて |
沢の池前のお土産店です |
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”滋眼堂(じげんどう)”を望む |
”新殿(しんでん)”を望む |
”茶祖堂(ちゃそどう)”を望む |
”流天(りゅうてん)”を望む |
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Yahoo!地図より |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) |
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後 記 |
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後楽園の散策は、学生時代に一度計画し倉敷までは訪れましたが、予定を変更し四国渡り(栗林公園等に訪れ)、後楽園はそれっきりになりました。その後、仕事で岡山を何度か訪れることが有りましたが後楽園へは訪れることはありませんでした。日本三名園の一つ、やはりぜひ見ておきたいと思い出かけてきました。
後楽園へは岡山城から月見橋を渡り南門から入園しました。まずは庭園の広さに驚かされました。岡山城と庭園の池を眺めながらの歩きです。園内は梅が咲き始め、3月という季節がらのせいか観光客も少なく、のんびりとゆったり散策することが出来ました。
後楽園は、四季折々の楽しみ方が有るとおもいました。今回は季節より、自分のスケジュールを優先し訪れましたが。次回は桜、新緑、紅葉の季節に訪れて見たいと思います。 (2014/12/06)
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後楽園、藤棚・岡山城を望む |
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後楽園、桜林にて |
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後楽園、沢の池にて (中の島を望む) |
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