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No.7 |
小江戸 ”川越” 案内図 |
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川越の蔵造りは、一番街通りを中心として23棟の蔵造りが文化財に指定されており、平成11年12月に同地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。それらは川越の町並み景観を構成する重要な核となっています。
(川越原人のHPより) |
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川越に多くの蔵造り店舗が生まれたのは、明治26年の川越大火を契機としています。この大火では町の3分の1以上である1300余戸を焼失し、川越は大きな被害をうけたのです。町の復興にあたり川越商人は、日本の伝統的な耐火建築である土蔵造りを採用した。当時の耐火建築としては西洋から入ってきたレンガ造りがありましたが、川越商人は蔵造りを選んだわけである。そして、新しい材料であるレンガは、蔵造りの屋敷の塀とか地下蔵に使い込んだのである。黒漆喰と赤レンガの色調がしっくりと合って、町並みを構成する大事な要素となっています。
(川越原人のHPより) |
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Yahoo地図より |
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Yahoo地図より |
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関東では、川越が、江戸時代の城下町がそっくり残っている町であります。今日、「小京都」とよばれる都市は全国にいくつか有りますが、「小江戸」とよばれる都市は、この川越をおいてほかにはありません。中世末期、すでに上杉氏や北条氏の城下町が形成されていた川越に、天正一八(1590)年、徳川家康は関東入封と同時に川越藩を置いきました。
武蔵野台地の最も東北端に位置し、近くに入間川が西部から北部にかけて流れている川越は、江戸時代を通じて、江戸城北辺の守りであり、また、豊富な物資の集散地でもありました。
(川越原人HPより) |
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現代と江戸が自然の形で溶け合っている町と思います。単なる観光名所ではなく、蔵一つとっても、そこには人々の生活を感じとることができます。生活の匂いがプンプンします。このあたりがどこを歩いても楽しい町を造っているのだと思いました。 |
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