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         日本の歴史を訪ね歩く
 


No.1  江戸から43番目の宿場町 ”馬籠宿”            (岐阜県:中津川市)
 

 馬籠宿(まごめじゅく)は中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県中津川市(長野県木曽郡山口村が、2005年2月越県合併により編入)にあります。
 木曽11宿の一番南に位置する。明治28年と大正4年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失しましたが、その後復元されて現在の姿となっています。
(ウィキペディアより

       石畳の道
 


No.2  坂の中の宿場 ”馬籠宿” 
 馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目の宿場で、江戸からは83里(333km)余りの場所に有ります。
 街道は山の尾根に沿った急斜面を通っており、その両側に石垣を築いては屋敷を造っていることから「坂のある宿場」が特徴となっています。
(馬籠観光協会HPより)
   
 
 
石畳の街道 藤村の初恋のおゆふさんの生家「大黒屋」
 


No.3  石畳のの宿場  ”馬籠宿”
 

 馬籠宿は石畳の敷かれた坂の宿場で妻籠宿とともに人気があり多くの観光客が訪れます。石畳の両側にお土産物屋がならび、丁度中間地点に藤村記念館(旧本陣・島崎藤村生家跡)があり、商いをしていない一般の家でも当時の屋号が表札のほかにかけられています。(ウィキペディアより)

  
  
 

No.4  中仙道 と ”馬籠宿” の案内図  
 
 馬籠宿は、中山道の難路、木曽路の最南端に位置し、宿場町として栄えました。全長600mの石畳の坂道に沿って、軒の低い格子造りの家並みが宿場時代の面影を残しています。明治28年の大火事により江戸時代からの建物は焼けてしまいましたが、町の人達の努力により、当時を彷佛させる町並みを復元させました。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台にもなった宿場町です。(信州の旅..COMより)
 中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、ここには69の宿場が設けられていました。本州の中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから別名を「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれていました。
 始めは《中仙道》 と書かれていましたが、享保元年(1716)に、「東の海沿いの道を東海道というように、本州の中央を通る道だから《中山道》と書き改めるべきである」として、以後《中山道》と書かれるようになりました。しかし読み方は昔のままで《なかせんどう》と読まれています。
 
Yahoo地図より             Yahoo地図より   
 
 
 
 
 中山道は東海道と共に江戸と京都を結ぶ大動脈でありました。東海道の126里・53宿に比べて遠回りではありましたが、東海道は大井川の川留めで旅の行く手を遮られたり、桑名一宮間の船旅で海難の危険が伴ったのに対し、中山道の旅にはこうした惧れがなかったことから、京都から江戸に向かう姫君たちはほとんど中山道を選びました。しかし中山道も決して安全な道ばかりではなく、とりわけ馬籠宿と落合宿の間にある十曲峠は険しさで旅人をはばみ、木曽の桟(かけはし)は危険な箇所として恐れられていました。
(馬籠観光協会HPより)
 
 
 馬籠茶屋で昼食に手打ちそばと馬刺しをいただきました。両方とも美味しくいただきました。味もさることながら、お店のかまえ、雰囲気、回りの風景がすべて、味に加わり、美味しさを実感することができました。
 また、場所は失念しましたが、散策中に突然視界が開け、中津川市内が一望できました。ちょっとした感動ものでした。昔の旅人もここでは同じ思いをし、旅を続けていたのだろう と思いました。




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