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中仙道 と ”馬籠宿” の案内図 |
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馬籠宿は、中山道の難路、木曽路の最南端に位置し、宿場町として栄えました。全長600mの石畳の坂道に沿って、軒の低い格子造りの家並みが宿場時代の面影を残しています。明治28年の大火事により江戸時代からの建物は焼けてしまいましたが、町の人達の努力により、当時を彷佛させる町並みを復元させました。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台にもなった宿場町です。(信州の旅..COMより) |
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中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、ここには69の宿場が設けられていました。本州の中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから別名を「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれていました。
始めは《中仙道》 と書かれていましたが、享保元年(1716)に、「東の海沿いの道を東海道というように、本州の中央を通る道だから《中山道》と書き改めるべきである」として、以後《中山道》と書かれるようになりました。しかし読み方は昔のままで《なかせんどう》と読まれています。 |
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Yahoo地図より |
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Yahoo地図より |
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中山道は東海道と共に江戸と京都を結ぶ大動脈でありました。東海道の126里・53宿に比べて遠回りではありましたが、東海道は大井川の川留めで旅の行く手を遮られたり、桑名一宮間の船旅で海難の危険が伴ったのに対し、中山道の旅にはこうした惧れがなかったことから、京都から江戸に向かう姫君たちはほとんど中山道を選びました。しかし中山道も決して安全な道ばかりではなく、とりわけ馬籠宿と落合宿の間にある十曲峠は険しさで旅人をはばみ、木曽の桟(かけはし)は危険な箇所として恐れられていました。(馬籠観光協会HPより) |
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馬籠茶屋で昼食に手打ちそばと馬刺しをいただきました。両方とも美味しくいただきました。味もさることながら、お店のかまえ、雰囲気、回りの風景がすべて、味に加わり、美味しさを実感することができました。
また、場所は失念しましたが、散策中に突然視界が開け、中津川市内が一望できました。ちょっとした感動ものでした。昔の旅人もここでは同じ思いをし、旅を続けていたのだろう と思いました。
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