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奈良 ”飛鳥路” を散策する | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 亀形製造物を望む、石造物は正面の柵の下に有ります(1) ■ | |||
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亀形製造物を望む、石造物は正面の柵の下に有ります(2) | |||
【亀形石造物について】 亀形石造物は、酒船石遺跡の北西に位置する謎の石造物です。1999年発見されました。全長2.4m、幅2mの亀形を呈し、顔を南向きにして据えられていました。丸く彫られた両目、4本の指の表現が施された両足が特徴的である。甲羅部分は円形の凹型になっており、水を溜める仕組みであったことがわかります。水は鼻の穴から甲羅部分に流れ込み、V字状に彫り窪められ表現された尻尾の部分から流れ出すようになっています。亀形石槽のすぐ南側には小判形(船形)に彫り込まれた水槽を有する石造物が、さらに南側にこれら石造物に水を供給していたと思われる湧水施設がみつかっています。 斉明天皇が信仰した道教の世界を表す両槻宮の一部ではないかとか、政治を占う施設とか、身を浄める場所とかさまざまな説があります。出土した土器などから7世紀中頃~10世紀の間にかけて利用されていたことが確認されています。 (古都飛鳥保存財団HPより) |
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亀形石造物、横からの眺めです | |||
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亀形石造物、の入口様子です | |||
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■ 亀形製造物を正面より望む ■ | |||||||||||||||||||||||||||
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亀形製造物を上部より望む | |||||||||||||||||||||||||||
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亀形製造物、遺跡周辺の様子です | |||||||||||||||||||||||||||
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亀形石造物、正面を望む(亀形と小判形石造物です) | |||||||||||||||||||||||||||
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■ 飛鳥路、街並みの様子です。自転車は、この趣のある街並みを走ります (石舞台~亀形石造物にて) ■ | |||
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飛鳥路、街並みの様子です (飛鳥寺~甘樫丘にて) |
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■ 甘樫丘への登り口です ■ | |||
甘樫丘は、頂上から飛鳥一円が眺望できる標高145mの小高い丘です。この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸があったと言われ、大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれています。『多武峯縁起絵巻』などにも炎上する蘇我邸が描かれています。甘樫丘の東麓にあたる場所(甘樫丘東麓遺跡)が発掘された結果、焼けた建築部材・土器などが出土しました。この位置が大化の改新の際中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、土器の年代観が、この時期に一致することなどから、調査地の上方に蘇我邸が存在していたであろうことが想定されています。 | |||
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甘樫丘の展望広場です |
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甘樫丘からの眺望です | |||
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甘樫丘頂上への途中にありました句碑です | |||
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