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         世界遺産を訪ね・歩く
仏塔を望む       
   
(撮影:2009年4月12日) 
  

 3人の王が眠る王室の守護寺院
 
 ワット・プラ・シー・サンペットは、歴代のアユタヤ王朝の3人の遺骨がおさめられてた、3基の仏塔で有名です。そしてここは、アユタヤ王朝の初代ウートン王が、最初に王宮を建設した場所でした。しかし1426年に王宮は火災で焼失し、移転しました(るるぶ バンコク・アユタヤより)
 
    
 
仏塔内の見学
  仏塔内には、入口正面左側の仏塔と中央の仏塔は見学することができます。コーモリには要注意です。




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 廃墟と化した寺院
 
 
黄金の仏像
 1500年に171kgの金を使った高さ16mの仏像を建立。アユタヤのシンボルとなったとのことです。



元はどういう建物であったのだろうか?
 
 

 
 3基並んだ仏塔はアユタヤの象徴 
 
【アユタヤの歴史】  写真作家 平山和充氏 「古都アユタヤと周辺の歴史地区」より

 アユタヤは1351年にアユタヤ王国の首都としてつくられた。建国以降、クメール人がつくったアンコール王朝を滅ぼし、さらにスコタイ王国を併合し、インドシナ半島中部まで勢力を拡大して、華麗な王国を築き上げていった。交易が盛んだったアユタヤは、アジアやヨーロッパ諸国との貿易にも力を入れた。日本も徳川家康時代に朱印船貿易を行い、最盛期には3000人もの日本人が住んでいたといわれる。日本人町の統領だった山田長政がリゴールの地方長官に任命されたり、その当時はアユタヤと日本とのつながりも深かったのだが、山田長政が毒殺され、また徳川家光の鎖国令などで一気に交易も終わってしまった。
その後、アユタヤは1767年にビルマの攻撃を受けて、都は徹底的に破壊され、400年間の歴史を閉じてしまう。 

 
 
 スリランカ様式の仏塔
拡大    
 
 

 アユタヤ最大規模を誇った寺院
 
 
 仏塔の中を二箇所ほど覘いて見ました。一つ(写真下左側)は人の足音に驚いたコーモリがバタバタと飛び立っていました。強いアンモニア臭が鼻をつき呼吸ができずとても中には入れる状態ではありませんでした。もう一つ(写真下右側)は入口に金杯がおかれ、中も綺麗に清掃され祭壇が置かれていました。ここの遺跡の中で唯一人間の存在を感じさせる場所でした。日本式にお祈りをしてきました。

 
 
 ■仏塔の中をのぞいて見ました
仏塔内の入口   仏塔内の入口 入口に金杯があります
大仏塔から外の風景 中はコーモリが飛び交っていました 綺麗に清掃されている内部
 

 漆喰で造られた 高さ40mの仏塔
  
 
 ワット・プラ・シー・サンペットは、王宮跡にラーマティボディ2世によって王室の守護寺院が建設され、1491年に3基の仏塔が建てられた。かっては高さ16mの黄金の仏像なども立っていたが、1767年のビルマ軍の侵攻で崩壊した。(るるぶ バンコク・アユタヤより)

 
 
 
 

 アユタヤ ”ワット・プラ・シー・サンペット”  案内
  
 るるぶ タイ・バンコク より】

 アユタヤ王朝が開かれたのは1350年。以降、35代417年間に渡って繁栄したが、その要因が街を囲むように流れる川。アユタヤはチャオプラー川とその支流に囲まれ、かっては”水の都”とも呼ばれていたという。運河が整備されたアユタヤは商業と文化の中心地となり、寺院や仏像も多く作られるようになった。1767年ニビルガマ軍に占領され、王朝は終わりを告げた。

 
中央奥には現在の寺院が見えます    
 
 
  廃墟
 
 
 
 
入口前の通り   
 
 
 
Yahho!地図より ■Zoom ■Zoom
 
 
 
後 記
 
  ワット・プラ・シー・サンペットは破壊尽くされた人気の無い廃墟でした。3箇所の仏塔が歴史の証人のように寂しそうに立っていました。壊れた煉瓦、いたるところに有る柱の跡、全盛時代のスゴさを想像させてくれます。昔は素晴らしい寺院であったことがしのばれます。また入口から見て仏塔の奥には王宮が有ったとのことですが、何がどうなのかは良くわかりませんでした。残念!  (2009.4.12)

 


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