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(撮影:2005年10月5日) |
No.1 | 瀋陽 ”故宮” (中国 遥寧省:瀋陽) | |||||||
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No.2 | 清朝の2代皇帝 ヌルハチとホンタイジの皇居 | |||||||
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瀋陽故宮入口から宮内を見る | 太正殿の龍 | 武官の執務室から大正殿を見る | ||||||
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大清門 | 崇政殿(ホンタイジの宮殿で、ここで執務) | 出口から見える太正殿 | ||||||
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東院は瀋陽故宮の中でも最も古くから建てられ、主にヌルハチ時代の建物で主な建物に大政殿や十王亭があります。ホンタイジの時代には行事の時しか使われないようになっていました。 大政殿は東院の正殿で八角形をしており、世界唯一の建築様式で、移動式テント・ゲルを真似ています。正面の2つの柱には皇帝の象徴・金の龍が絡み付いています。 十王亭は右大臣に相当する右翼王と左大臣に相当する左翼王の執務室と八旗それぞれの建物それぞれ10の建物で、大政殿前の広場の左右にあります。 (桂林中国国際旅行社のHPより) |
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清の軍事組織、八旗の兵制は、ヌルハチが、狩猟の際の体形を発展させた軍事組織で政治、経済、社会の基本組織でもありました。(江戸時代の藩に似た組織) この軍事組織が、鉄砲、大砲などの装備の勝る明の出先の軍を倒していったのであります。太政殿でヌルハチを中心に十王が軍議している間、各旗の幕僚が王亭で待機していたとのことです。(中国旅行者HPより) |
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崇政殿のホンタイジの玉座 | 継思斎(漢字と満語で書かれた額) | ||||||||||||
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故宮入口 | 清寧宮(第一婦人の間) | 清寧宮の天井 | 太正殿の横にある武官の執務室前 | ||||||||||
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故宮入口 | 継思斎の内部 | 12段の煙突 | 太正殿の内部 | 太正殿からの眺め | |||||||||
No.5 | 太正殿の龍と瀋陽故宮案内 | ||
入門して右側(東)に、八角形の太政殿とその前に左右五つある十王亭であります。太政殿の八角形というのは、女真民族特有のものであります。この建物は、太宗、世宗の二帝の即位式が挙げられたところでありますが、普段は太政(軍政)を議する重要な殿であります。十王亭は、二王(右翼王亭と左翼王亭)と八旗の王亭で、二王・八旗亭の云う方が正確だと指摘されております。(中国旅行者HPより) | |||
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太正殿の龍 | |||
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清寧宮(第一婦人の間)の天井 | 太正殿 | ||
瀋陽 故宮のガイドをしています、ボランテアの皆さんです | |||
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中国の歴史に詳しくない私は、今回の瀋陽故宮を訪れたことで、漠然としていた中国の歴史が少しつながりました。清王朝は、ヌルハチとホンタイジの2代で建国し、そして3代皇帝 順治帝の時、明が滅亡し、北京に遷都し、大清帝国を作ったこと。そして、清朝「最後の皇帝」(第12代皇帝宣統帝(せんとうてい、1908年 - 1912年))、溥儀が日本軍と、満州国をつくり・・・・。ラストエンペラー溥儀へとつながっていきました。歴史の重さをつくづく感じました。 | |||
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