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[画像]  [世界文化遺産]  古都奈良の文化財  ”唐招提寺” に参拝する
  
  
  
  
  
  
 奈良 ”唐招提寺(とうしょうだいじ)” に参拝する
 
 唐招提寺(とうしょうだいじ)
 古都奈良の文化財
 世界文化遺産 (1998年)
 奈良県 奈良市五条町
  (撮影 2011.09.24)
 唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院です。南都六宗の1つである律宗の総本山であり、本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真であります。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を初め、多くの文化財を有しています。

 唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。   (ウィキペディアより) 

(Size : 1,680KB)
唐招提寺、国宝 "金堂"を望む 唐招提寺、鑑真和尚御廟を望む
 
 
 ”鑑真和上” の唐招提寺に参拝する
 

 【唐招提寺とは】

 唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。  
(唐招提寺HPより)

 
■ 唐招提寺 ”南大門鹿” を望む。奥は国宝の金堂です ■
 
国宝 ”金堂”を望む ”唐招提寺” 世界遺産登録の石碑です
 
 唐招提寺 国宝 ”講堂・鼓楼・金堂” を望む
 
■ 唐招提寺境内にて、左:講堂(国宝)、正面:鼓楼(国宝)、右:金堂(国宝)を望む ■
  
唐招提寺、国宝”講堂”を望む 唐招提寺、国宝”金堂”の入口です
 
 唐招提寺 国宝 ”鼓楼” を望む
   
■ 唐招提寺境内にて 左手前:金堂(国宝)、左奥:講堂(国宝)、正面:鼓楼(国宝)、礼堂(重要文化財)を望む ■
  
唐招提寺境内にて 鼓楼(左)、礼堂(右)を望む
  
  
 唐招提寺の案内板です。オシャレです 唐招提寺、金堂を望む  御影堂の塀です 唐招提寺、講堂側から金堂を望む
  
 
 
 唐招提寺 ”御影堂” にて
 
■ 鑑真和上、御影堂入口門の屋根瓦です ■
  
 
 唐招提寺 ”鑑真和上御廟”にて
  
■ 鑑真和上 御廟を望む ■
    
  
鑑真和上御廟、正面からの景色です  中華人民共和国首相、趙閣下の手植の木,、瓊花(けいか)です(■カーソルセットで拡大します) 井上靖の小説『天平の甍』の碑 鑑真和上御廟、入口を望む
 古都奈良 ”唐招提寺” 案内
  
【唐招提寺について】

 唐招提寺は、中国の高僧 鑑真和上(688~763)により創建された律宗の総本山です。
鑑真和上は聖武天皇の招聘に応えて来日を決意され、五度の渡海の失敗と度重なる艱難辛苦のすえ両目の光を失いながらも753年、渡航を志してゆうに12年の歳月を経て、来日を果たされました。この偉業は日本でも中国でも広く知られています。

 唐招提寺が創建されたのは和上来日より五年後の759年、律宗の研究道場として故新田部親王の旧邸を授けられたのが始まりです。
境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいますが、これらは朝廷や有力者などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも、創建時の姿を伺い知ることができます。中でも、南大門をくぐって正面に佇む金堂は、奈良時代に建立された金堂としての唯一の遺構であり、その堂々たる姿と静謐さをたたえた美しさが多くの人々を魅了してきました。   
(唐招提寺2010プロジェクトHPより)

  
■ 唐招提寺境内にて (左:金堂、正面奥:講堂、その右:鼓堂、手前右:礼堂を望む) ■ ※カーソルセットで境内案内図が表示されます
   
国宝、”宝蔵”を望む 唐招提寺、売店の様子です
 
 金堂正面の吹き放し部です 唐招提寺旧境内の石碑、南大門の右側に有りました  ”新宝蔵”を望む 国宝”経蔵”(手前)、国宝”宝蔵”(左奥)を望む
 
  
  
Yahoo!地図より Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示) Yahoo!地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   

 若いころ、井上靖著の「天平の甍(てんぴょうのいらか)」を読み、鑑真和上が日本に来ることになったことについては多少の記憶が残っていました。また唐招提寺については、奈良時代に建立された建物が現在に残っていることなどから、一度は見ておきたいと思っておりました。

 今から1,200年も前に日本と中国の関係が「唐招提寺」として寺院の名前となり残っていることは、ものすごくうれしいことと思いました。特に鑑真和上の御廟の前にある石碑の中に
  『中華人民共和国首相 趙紫陽閣下手植瓊花』がありました。
日本人、中国人の双方の思いがこの寺院に有るのだとあらためて思いました。

 次回唐招提寺には、「天平の瓦」を読み直しをし、瓊花(けいか)の咲くころ、今回拝観のできなかった「御影堂」を拝観したいと思います。  
(2014/1/31)

 
唐招提寺、”礼堂”のたたずまいです
 


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