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       世界遺産を訪ね・歩く
龍源寺間歩の入り口 
   
(撮影:2009年08月09日)
  

 石見銀山 龍源寺間歩  (島根県:太田市)
 
 石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)でした。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれていました。(大田市観光協会HPより)
 
世界遺産の評価
  石見銀山では銀の精錬で膨大な森林消費を適切な管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点などが評価されています。(大田市観光協会HPより)
 石見銀山世界遺産センター 
石見銀山観光案内所 銀山街道道標 遊歩道案内板
 
 
 銀山街道を歩く
 
源流寺間歩へ
    遊歩道
銀の里工房・香本舗「中村屋」 福神山間歩前の休み屋 自然の残る石見銀山(仙ノ山方面)
 

 
 ”龍源寺間歩”を歩く (1)   
 

 龍源寺間歩は、御直山(おじきやま)五ヶ山のひとつ、江戸時代の中頃に開発された代官所直営の坑道で、大久保間歩に次いで長く、約600mあります。そのうち一般に公開されているのは273mで、坑道の壁面 には当時のノミの跡がそのまま残っています。 また、排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができます。  (大田市観光協会HPより)

  
 

 ”龍源寺間歩”を歩く (2)
  
         
 

 清水谷 精錬所跡
 
  清水谷精錬所跡(しみずだにせいれんじょあと)は、山すそに傾斜を利用して造られた明治時代の先端技術による精錬所の遺跡です。明治時代の遺構で、明治26年から巨額を投じて建造されましたが、わずか1年半で操業中止となりました。 (大田市観光協会HPより)

■Zoomで稼動時代の写真表示されます
清水谷精錬所跡入り口
精錬所跡入り口の近くで撮影 稼動していたころの写真(現地案内板からの複写です)



 佐毘売山神社 別名「山神社」 
  
 佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、鉱山の護り神である金山彦命が祭神として祀られ、別名を「山神社」と言い、鉱夫たちや里人からは「山神さん」と呼ばれていました。祭神は、永享六年(1434)室町幕府六代将軍足利義教の命によって、周防の国守大内時世が、美濃郡益田から、分霊を移し、祀ったと伝えられています。
 鉱山を所有した幾代もの権力者は、崇敬して武運長久と、銀山の盛山を祈願したそうです。
 社殿は文政元年(1818)の大火で焼失しましたが、翌二年(1819)に代官所の援助を得て、本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建されました。特に拝殿の重層屋根は天領特有なものだそうです。 (大田市観光協会HPより)

   
 
 

 石見銀山 ”銀山遊歩道 ”  案内
  
 
 石見銀山の間歩は、「龍源寺間歩」をはじめ、「釜屋間歩」、「新切間歩」、「大久保間歩」、「福神山間歩」、「本間歩」等の7つの間歩が国の史跡として登録されています。
 そして、このほかにも500を越える間歩があり、龍源寺間歩よりも規模の大きい間歩や、露頭掘り跡がたくさん残されています。
 (大田市観光協会HPより)

 
銀山街道沿いの民家    
 
 

史跡 豊栄神社

大安寺跡

隆昌寺跡入口

清水寺
  世界遺産センターからのバス 観光案内所の看板 史跡福神山間歩遺跡 龍源寺間歩入口から外を見る 垂直100mの排水溝 龍源寺間歩の出口
 
 
Yahho!地図より ■Zoom ■Zoom
 
後 記
 
  石見銀山がなぜ世界遺産に登録できたのか、この目で確かめたいと思い、行ってまいりました。
 この地は漫然と見ていては、ここの凄さ、「銀を中心とした一つの広大なシステムが形成され、現在にその姿、文化が残されている」ことを理解することはなかなか難しいと思いました。
 太田市教育委員会のHPを読み、下記のように感じました。

1.良質な銀を大量に生産し貿易を通じ、世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと。
2.鉱山開発・銀生産方式の伝統的技術の跡が良好に残されていること。
3.銀の生産から搬出に至る鉱山運営の全体が残っていること。そして製錬に使用した膨大な木材燃料にもかかわらず、豊かな自然環境がのこり、文化的景観を形成していること。これは世界的に極めて貴重な存在となっていること。  
(2009.8.09)



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