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    日本の城に登る・城を歩く

 
No.1  日本100名城  ”金沢城”     (石川県:金沢市)
 金沢城(かなざわじょう)は、加賀一向一揆の拠点としての金沢御堂が始まりで、その後佐久間盛政が尾山城として築き、ようやく、小規模ながら城として体裁が整ったといわれています。石垣の築造など金沢城の整備は、文禄元年(1592)から慶長4年(1599)にかけて、前田利家の長男利長が進めました。 (ウィキペディアより)
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No.2  兼六園より金沢城を望む  
 天正11年(1583)前田利家が加賀・能登を支配することになり金沢に入城しました。前田利家の長男利長が石垣の築造などを文禄元年(1592)から慶長4年(1599)にかけ、整備を行い、北に新丸を広げ、大手門を築き、城の周囲を内惣構堀で囲みました。
 前田利家は、今に残るような近世城郭へと大修築を行い、さらに利家・利長・利常の3代に渡って整備され、同時に城下町金沢も整えられ、今日に至っているとのことです。
(ウィキペディアより)
 
 金沢城は堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つため軍事拠点として多くの寺が建立された。  (ウィキペディアより)
兼六園から金沢城を望む 石川門    櫓門 拡大 





 
No.3  ”菱櫓(ひしやぐら)”からの眺め(1) 
 
  菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫でした。櫓自体を直角でなく菱形で構成することにより広い視野を確保しています。菱形で柱を構成するということは大変高度な技術を要します。建築に興味のある方は、見学をお薦めします。(金沢城・兼六園管理事務所HPより) 
問屋門と桜雲橋
 




 
No.4  復元された”五十間長屋”
 平成10年〜13年に3年と4ヶ月をかけ、二の丸菱櫓(ひやぐら)・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)が復元され、金沢城址は「金沢城公園」として再整備されました。
 復元された五十間長屋は、3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓の2層2階をつないでいます。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。
(金沢城・兼六園管理事務所HPより)
 

 廃城から百数十年を経た、金沢城の建物は大半が失われましたが、往時の遺構は埋蔵文化財として残されています。(金沢城・兼六園管理事務所HPより)
左側兼六園、正面「倉ヶ岳(565m)」を望む       本丸跡  
 
 
 
 ”菱櫓”からの眺め     
 
 




 
No.5  ”菱櫓”から本丸跡方面の眺め  
 
 




 
No.6  ”金沢城” の案内図  
Yahoo地図より       Yahoo地図より(拡大)             
 
 
 
 金沢城の歴史は、古くは天文15(1546)年に本願寺が金沢御堂を創建したことに始まります。
 その後、天正8(1580)年に織田信長の命を受けた佐久間盛政が築城を始め、3年後の天正11(1583)年に前田利家が入城し、明治2(1869)年まで加賀藩前田家14代の居城として金沢城が置かれました。明治以後、終戦までは陸軍の拠点、その後、平成7年までは金沢大学キャンパスとして利用されてきました。
(金沢城・兼六園管理事務所HPより)
 
 金沢城は、いろいろな歴史を経て、今日、金沢城址公園として城郭の一部が復元されて来ています。歴史の重みを感じる城と感じました。本丸跡を含め、これから城全体が復元されてくることを期待したいと思います。



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