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     日本の城に登る・城を歩く


No.1  山形城                 (山形県:山形市)
 

 山形城(やまがたじょう)は山形県山形市霞城町に城址を残す城です。別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれています。
また、吉字城(三の丸城門の数が11、吉字の画数が11画であることを由来とする)とも呼ば、現在は国の史跡に指定されています。
(ウィキペディアより)

  
 


No.2  復元中の ”本丸”
 山形城は、本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配置された平城で、二の丸には5つ、三の丸には11の出入り門が作られていました。中世の居館を拡張して城郭とし、本丸は御殿のみで天守は作られていませんでした。二の丸は一辺500mほどの方形、三の丸は1.5〜2kmほどの楕円形で、国内でも五番目の広さを誇っていました。 (ウィキペディアより)
一文字門石垣
 
 


No.3  山形城の正門 ”二の丸東大手門” 
 
 城郭は、最上義光の時代におおよそ基礎がつくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものであります。江戸時代には山形藩の政庁が置かれていました。現在は、そのほとんどが失われ、わずかに二の丸城址が霞城公園として残されています。 (現地案内より)
    本丸の濠
 
 
  


No.4  二ノ丸東大手門 と ”最上義経”像
 

 山形城は本丸より城下町の方が高く作られています。これは普通のお城は、山城など本丸の天守閣となる部分は高い所に建てるのが普通ですが、山形城は二ノ丸から三ノ丸の方が、本丸より高く作られています。これは全国的に見てもまれなお城であります。(現地案内より)

  
  
 
 明治維新後、建物は全て無くなってしまいましたが、1991(平成3年)に二ノ丸東大手門が工費11億円をかけ、復元しました。
 現在は、本格的に城(本丸)を復元するための調査と整備が進行中です。
 
 
 
 


No.5  二ノ丸 南大手門 
 
 
 
 山形城は、当初57万石の大大名最上氏が築いた城で、有数の規模を誇っていたが、幕末には、修理費用もままならず、二之丸御殿を中心とした部分だけが利用され、本丸は更地となっており、三之丸の西半分は田畑となっていたと言われています。
南大手門より市内を望む 南大手門の壕

No.6   57万石から5万石に減少となった山形城
 
 山形城の有名なのは、戦国大名として伊達政宗などと抗争した最上義光である。出羽最大の大名に成長し、江戸幕府成立では57万石を領有した。しかし、最上義光以後は没落。1622年、義光の孫・家信(義俊)は家臣の争いにより改易され、以後、鳥居忠政(24万石)が山形城を改築し、徳川家の親藩・譜代の大名が、石高を減少させながら次々と入城。最後は水野氏5万石となりました。
濠の横を電車が通り抜けて行きます。
 

No.7  ”山形城” の案内図  
 
 山形城の石垣は、市街地を流れる馬見ヶ崎(まみがさき)川の玉石(安山岩)を用い、割肌を表面に見せる野石積みで日本でも類を見ない優美で堅固な石垣である。
 また、二ノ丸東大手門は山形城の正門であります。
昭和61年5月、二ノ丸堀から内側の地域が、近世初期の面影をとどめている全国有数規模の近世城郭として国の史跡に指定されています。
(ウィキペディアより)
本丸修復のための調査中の城址
城内風景 旧済生館本館(国指定重要文化財)
城内には、東北地方初の医学校と病院館として1878(明治11)年に建てられた「済生館」を移築されています。「済生館」は、重要文化財に指定されています(現在は、山形市郷土館として使用)。
 
    
Yahoo地図より        Yahoo地図より      Yahoo地図より   
 
 
 
 山形城の三ノ丸の広さが235万m2に対し、天下普請の江戸城でさえ230万m2であり、城自体の建物や構造など異なるが、全国でも有数の、そして奥羽最大の城でありました。しかし、度重なる藩主交代に伴って石高が削減される一方の山形藩にとっては、維持することすら困難となる広さであった。そのため、幕末期の水野氏5万石時代には見る影もない姿となってしまったとのことです。
 水野氏は幕末には奥羽列藩同盟に参加したが、慶応4(1868)年に明治新政府軍に降伏しました。明治3(1870)年、水野氏2代忠弘は、近江朝日山陣屋に転封となり、山形藩は翌年の廃藩置県に先立って廃藩となりました。 (ウィキペディアより)
 
 東大手門は、工期45ヶ月、工費11億円をかけ、復元されました。実にりっぱな門である。本丸側から見ると、城内の芝生と白壁の美しさが際だつ、美しい城であります。
 また、城内には、野球場、体育館・・・等の施設がり、城内がいかに広く、大きいかが、わかります。現在本丸の復元に向け、調査を行っていましたが、本丸が復元されれば、奥州最大の城の片鱗が見えてくると思いました。


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