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 日本の花の中を歩く
         (日本の四季・お花の中を歩く)
[画像]  No.3   真間山弘法寺 ”伏姫桜” を観賞する
山門より ”伏姫桜”を望む
 千葉県市川市  真間山弘法寺(ぐほうじ) ”伏姫桜” を鑑賞する 
 弘法寺(ぐほうじ)
 寺院
 千葉県市川市
  (撮影 2010.03.28)
 奈良時代の天平9年に行基によって真間山求法寺(ぐほうじ)として創建されたと伝えられています。弘仁13年の空海の来訪を機に名を真間山弘法寺(こうほうじ)と改めたとされています(寺に掲げられた「真間山」の額は空海の真筆とされている)。元慶5年には天台宗に改められる。鎌倉時代の建治3年、日常の養子・日頂により日蓮宗に改められたという。この時寺名も真間山弘法寺(ぐほうじ)になった。以後、下総中山(現在、千葉県市川市)の法華経寺とともに日蓮宗の拠点となった。
 また、太田道灌は寺内に茶室を寄贈し、徳川光圀や徳川吉宗も親しく参詣したと伝えられている。  (ウィキペディアより)
(Size : 1,300KB)  推定樹齢400年 伏姫桜を望む 伏姫桜と祖師堂を望む
 推定樹齢400年 ”伏姫桜” を望む(1)
鐘楼付近から、”伏姫桜”を望む
 推定樹齢400年 ”伏姫桜” を望む(2)
 真間山弘法寺は風情ある参道と長い階段を上がると、見事なしだれ桜が目にはいる。行基菩薩(ギョウキボサツ)や弘法大師(コウボウダイシ)の建立伝説のある寺。境内には水原秋桜子、富安風生、小林一茶などの句碑がある。伏姫桜と呼ばれる樹齢推定400年のしだれ桜は、普通の桜と違って咲き始めが早く、咲いている期間も短い。伏姫桜の他にも約200本の桜がある。   (角川マガジンズHPより)
”伏姫桜” たくましく見事なさくらです
 弘法寺 ”伏姫桜と鐘楼”を望む
弘法寺鐘楼堂を望む
 ライトアップの ”伏姫桜” を望む(1)
暗闇に浮かぶ ”伏姫桜”
 ライトアップの ”伏姫桜” を望む(2)
 真間山弘法寺は元亨三年(1323)に千葉胤貞公(ちばたねさだこう)より寺領の寄進を受け、天正十九年(1591)に徳川家康公より御朱印状を賜り、元禄八年(1695)には水戸黄門公が来詣された折、茶室を賞(め)でて「遍覧亭(へんらんてい)」と称された。

 明治二十一年(1888)火災のため、全山、悉く灰燼(かいじん)に帰し、現在の諸堂は明治二十三年(1890)に再建されたものである。
   (真間山弘法寺HPより)
■ たくましさを見せ付ける 伏姫桜 ■
     
 真間山 ”弘法寺” 案内
 真間山弘法寺の正面石段の下から27段目にある石。石段は千個以上の石からなるが、この石だけ涙を流すかのように濡れ続けている。

江戸時代に、作事奉行の鈴木修理長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根本付近にさしかかった時に船が動かなくなり、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまった。長頼は幕府から責任を追及され石段で切腹。その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承がある。

また、市川市には水脈が多く300以上の湧き水があり、たまたま石の一部が水脈に触れているのではないかとの説もある。    
(ウィキペディアより)
【山門】 真間山弘法寺が明治の大火の際、被害に遭わなかったのが「仁王門」と「鐘楼堂」である。その仁王門に掛かる「真間山」の額は空海が記した物と伝えられている。 (■カーソルセットで「真間山」の額がアップします)
”涙石”です(色の変わっている石) 真間山弘法寺の正面石段を望む
4月の伏姫桜を望む 祖師堂を望む 鐘楼堂を望む   客殿を望む
Yahoo!地図より ■Zoom ■Zoom
後  記
 真間山弘法寺はなかなか”ぐほうじ”とは読めないお寺です。明治の大火でほとんどの建物が焼失したとのことです。誠に残念でであります。
 臥姫桜は毎年、満開の時期になると新聞の千葉県版にて紹介されています。弘法寺の立派な石段を一歩一歩登ると山門に着きます。山門がら右手前方に臥姫桜が見えてきます。現在の臥姫桜は地元のボランティアの方々の努力により、今日の雄姿を見せていることがわかりました。ボランティアの活動、本当にありがたいことです。
  (2011.06.29)
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