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[画像]  インド共和国 ニューデリー ”インド門”
  
  
  
  
  
  
  
  
 ”インド門” を訪れる (ニューデリー)
 
 インド門 (India Gate)
 ニューデリー観光名所
 インド
 ニューデリー ラージ・パット通り
  (撮影 2014.11.22)
 インド門 (India Gate) は、インドのデリーにある慰霊碑です。パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られました。

 高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれています。東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれ、永遠の火が灯されています。    (ウィキペディアより) 
(Size : 1,265KB) 
インド門を望む インド門にてむ
 


 ニューデリー ”インド門” を望む
 
■ インド門の前では、沢山の観光客が記念写真を撮っておりました ■
 


 ニューデリー ”インド門” にて(1)
 

 インド門はニューデリーのラージ・パット通りの東端にある門です。この門は第一次大戦の戦死者慰霊碑であり、イギリス統治政府によって1931年に建立されました。壁にはインド兵戦死者約8万5千人の名前が刻みこまれています。

                ■高さ   42m
                                 
(ウィキペディアより)
■  門には第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれています ■
  
  


 ニューデリー ”インド門” にて(2) 
 
■ 不滅の兵士の炎(永遠の火)が1971年以来絶えることなく燃え続けています(正面の金色のところです) ■
     
  
  
 


 ニューデリー ”インド門” にて(3)
 
  
大統領官邸側からの風景です   大統領官邸方面の風景です  
 


 ニューデリー ”インド門” にて(4)
 
■ 駐車場より、インド門を望む. ■
  
インド門には、沢山の観光客が訪れておりました   民族衣装はとても新鮮で華やかでした(インド門にて)
  
 


 ニューデリー ”インド門” 案内
 
【インド独立運動の象徴の一つ、インド門】

  欧州で第一次大戦が勃発するとイギリスは将来の自治を約束する代わりに植民地であったインド側に協力を求め、多数のインド人兵士を前線に送らせました。 しかし大戦後もインド側が考えていた程の自治権の委譲は無く、結果的にガンディーを中心とする議会派によって以前にもまして独立運動(実際は自治権要求であった)は激しさを増して行くこととなりました。このインド門はインド人達にとっては英国政府からの独立運動の象徴の一つだとも言えるとのことです。
                                 
(ウィキペディアより)


 
■ 駐車場方面より、インド門を望む ■
  
インド門駐車場(路上)にて 路上にコブラが・・・ (インド門駐車場にて)
  
  
”インド門”にて(1) 駐車場前ではお犬さんがノンビルと寝ていました ”インド門”にて(2) ”インド門”にて(3)
 
  
 
Google地図より Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示) Google地図より地図より(■カーソルセットで写真表示)
  
 
           
後   記   
 インド門は、インドに入国して初めて訪れた観光地です。ニューデリーの代表的な観光地とのことです。民族衣装に着飾った沢山の観光客で賑わっておりました。1971年から灯火されている”永遠の火”は、ボランテア(?)の人たちが一生懸命に清掃に励んでおりました。

 ホテルからインド門へ向かう道路では像が歩いていたり、3車線の道路には車列が4列だったり、また駐車場ではヘビ(コブラ)使いがいたりとやはり異文化の違いには驚かされました。    
(2015/1/15)

 
車窓より、デリーにて
 


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